コーヒーのカップどんどん運び立冬
冬の風ポンコツ大型洗濯機
冬のハエどしどし叩くおばあさん
たくさんのリモコン 暖房機はどれよ
冬の昼ぞうきんがけは終了す
十月や親子の散歩してゐたり
沖縄の電話帳読む秋の昼
秋の海ヤンキー集団消えてをり
自転車の油注しをり月の夜
秋の草なんだかんだと眠たかり
百円の句集見てをりさるすべり
けんぎうくわゆつくり穴を掘つてをり
渡り鳥ごみを拾つて歩みをり
休耕田西瓜の皮の腐りをり
太陽のらららら秋の浜の猫
「くつろぐ」
ふるさとは川原の小さき石の夏
原因と結果の連鎖半ズボン
海水浴ただ反応をしつづける
へそのごま取つてあげをり夏夕
蝉の声古新聞を運びをり
「リラックス」
梅雨の浜ポメラニアンを抱いてをり
「林徹追悼号」を読んでをり
かたばみの花や園児に笑はれて
タンカーを見てをり炎天下の浜辺
赤とんぼお久しぶりと表情に
「くつろぐ」
ヤクルトの殻置いてあり蟻の群
ほにゆうびんかはかしてをり夏の草
こんにちは祖母と蚕豆捥いでをり
みんなみなみんな素粒子いととんぼ
過去帳のひいひいばあちやん豆ごはん
「リラックス」
立夏なり風滞りなく続き
はつなつや手を洗ひやる一刻の
新緑や簡易便器を拭きそめり
太陽や我なら泣くに蟻あゆむ
若葉なり聴こゆるものは虚しくも
先日、書店にてこの句と出会い、心打たれた。
綿菓子を孫に買ひたる秋祭 森澄雄
(「弦 GEN」2007年冬号、招待作品より)
この句はありのままだ。読者に対し障害が無い。そして澄雄さんの著作の大半を読んだからというのもあるが、句の背景に氏のこれまでの道程や思いが全て表れているように感じられた。白髪の顔が思い出されて、じーんと響くものがあった。
筆者は高校大学と闘病で精一杯だったため教養的な句はそれほどピンとこないかもしれない、しかし逆に右のような句は切にじーんと響くものがある。ただそれだけのことだ。
読者に障害を与えず、私たちが生きて来た、そして生きている空間が観える俳句、そういう句と出会えたらなんだか嬉しい。
さぁ寒太主宰の「修那羅抄(二)」はどうだろう。スペースに限界があるため一句引用する。
耀へる妻ゐて冬日浴びにけり 寒太
ありのままの句だ。いろいろなことがあったが、かがやいて観える妻を胸に、ケロッとして冬日を浴びていたのだ。では主宰はどのように生きてきたのだろう。出版された四冊の句集を読み返してみる。
市田柿妻に父なく二十年 (あるき神)
除夜の妻他人のごとく振舞へり(あるき神)
妻に酒すすめてばかり昼花火(炎環)
子を叱す妻の声あり寒の玻璃(翔)
妻と子の初彌撤ひとり残さるる(翔 )
視界よりいつか妻消ゆ牡丹雪(翔 )
はなびらの妻までの距離はかりをり(翔)
額の花妻に仕事のメモふたつ(翔 )
もう妻の朱き丸つく初暦(生還す)
妻帰りまづ黒兎にこゑをかけ(生還す)
見舞妻櫻の真下帰りけり(生還す )
唄ふやうに叱る妻なり雪催(生還す )
風花や妻にのこれる夢ひとつ(生還す )
やっぱりケロッとして、奥さんの自立を楽しんできたのかもしれない。そして冬の日に対しても穏やかに接しているのか。しかし主宰にはまだまだ未知な面があるようで、これからも楽しみにさせて頂く。
「bâla」
大根を見てゐる今日も揺れてゐる
大泣きのをの子の追ひし紋黄蝶
ボクシングジムの三色菫かな
明日からは二十二歳や修司の忌
大蟻の皆同じ世に生れたり
朝顔や薄くなりゐる傷の色
介護士の資格取得す冬木の芽
愛犬の声を電話に就職す
水仙の一本早朝出勤す
なの花や遊びを知らぬ男の子
鈴懸の花や頭上の米軍機
てつだうぐさ仕事場の鍵きらきらす
DVD売り場にひとり賢治の忌
うでまくら寒し六林男の選句集
春の風巨き卵となつてをり
分娩室開いてゐたり寺山忌
大声で母を呼びをり宇野千代忌
コスモスや摑まり立ちの男の子
昨夜、祖父は臨終に教えてくれた
求めても得ることのなし赤とんぼ
昼の月赤信号に立つてをり
「リラックス」
太陽の話続けり枯木立
冬のあり東京駅の通行人
餅花の徹夜で話聞いてをり
冬の夜凸版印刷してゐたり
冬の朝副作用にて眠たかり